黒澤明監督の『天国と地獄』や伊丹十三監督の『お葬式』に出演したことで知られる山崎務さん。
妻は元女優のようですがどんな人?
次女は女優の山崎直子さんで、子供は何人?
この記事では俳優の山崎務さんの妻や子供なsどについて紹介しています。
妻は元女優で馴れ初めは?
山崎努さんが結婚したのは1963年、27歳の時でした。
妻は元宝塚女優の黛ひかるさん。
【TVガイド/あの時あの表紙あの番組(20)】
[62.12.21]黛ひかる当時宝塚歌劇団に所属の傍ら、映画にも出演し
『女家族』『駅前シリーズ』『ある大阪の女』で好演@retoro_mode pic.twitter.com/vr6USMfz74— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) July 22, 2017
1939年2月21日生まれで3歳年下。
大阪府大阪市出身。本名は山崎紀子(旧姓・藤田)。
1956年に「宝塚歌劇団」に43期生として入団。
「星組」に所属し、1962年に退団。
宝塚時代から『旅愁の都』、『ある大阪の女』などの映画出演していました。
山崎さんと紀子さんの馴れ初めは、1962年から1963年にかけて放送されたドラマ『アラスカ物語』(NHK)での共演。
同ドラマの脚本を書いたのは石原慎太郎さんで、仲人も石原さんが務めました。
『元宝塚女優のひかるさんは、朝は山崎さんを見送ってから仕事に向かい、夜は先に帰宅できるよう、結婚後は仕事をセーブしていた。山崎さんは自分の演技を見直すために、一時は一切の仕事を断っていたこともあるとか。でも、ひかるさんは何も言わずに働き、家計を支えていたそうですよ』
引用 https://www.jprime.jp/
紀子さんがいつまで仕事をしていたかは不明ですが、結婚後も仕事をしていたようです。
2021年10月には紀子さんが階段で転倒し骨折。
山崎さんは介護のため、仕事をセーブしていると報じられました。
娘は女優
山崎努さんの子供は娘が2人。
次女は女優の山崎直子さんです。
1972年12月8日生まれ。A-team所属。
玉川大学在学中の1992年に『週刊朝日』の表紙を飾り、モデルを経て、1995年に大河ドラマ『八代将軍吉宗』に出演。
1996年には「デジタルツーカー中国」のCMで父親の山崎さんと共演。
近年はドラマを中心に活動。
2022年には『正直不動産』(NHK)、2024年には『アンチヒーロー』(TBS)に出演しています。
山崎務の経歴
1936年12月2日生まれ。千葉県東葛飾郡松戸町(現・松戸市)出身。
父親は松戸の染物工場の友禅染職人。
妹が2人いる3人きょうだいの長男。
8歳の時に疎開先の柏市の山の中で終戦を迎えました。
父親は徴兵され出生。戦後は復員しましたが、その1年半後に他界。
生活は困窮し中学卒業後は東京都立上野高校の夜間部に入学し、アルバイトをしながら通いました。
俳優になったきっかけ
高校に演劇好きで俳優になりたい同級生がいて、彼から「一緒に俳優の試験を受けよう」と誘われたことが俳優になったことのきっかけでした。
高校卒業後は映画を観ながらブラブラしていましたが、友人に付き添って「俳優座」と「劇団民藝」の養成所を受けると友人は不合格でしたが、山崎さんは2つとも合格。
19歳から俳優座の養成所に入り、3年間演技を学びました。
「天国と地獄」で注目される
俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団。
1960年に『大学の山賊たち』で映画デビュー。
1963年に公開された黒澤明監督映画『天国と地獄』で誘拐事件の犯人・竹内銀次郎を演じました。
映画のラストは当初、主演の三船敏郎さんと仲代達矢さんが会話して別れるという設定でしたが、誘拐犯の竹内が金網を掴んでで泣き叫ぶという山崎さんのアドリブを黒澤監が気に入りラストを変更。
山崎さんは黒澤監督から「君の芝居が良かったから、そこでエンドマークにした」と聞かされ感激したといいます。
『天国と地獄で一気に売れ、シンデレラボーイというんでしょうか、ゴールデンボーイとでも言うのかなあ…、一夜にして生活が変わりましたね』
引用 https://www.zakzak.co.jp/
同映画の出演で一躍スターダムの躍りでました。
1984年には『さらば箱舟』、『お葬式』の演技で、日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞。
1987年には『マルサの女』で同賞も受賞しています。
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