10代から女優、タレントを長きに渡って活躍する奈美悦子さん。
結婚歴は3度で、3人の夫はどんな人?
子供は息子で元俳優?
この記事では奈美悦子さんの夫は子供についてリサーチしています。
最初の結婚は19歳
奈美悦子さんは1970年、3歳年上の林ゆたかさんと結婚。
林さんは1947年2月24日生まれ。
城西大学附属城西高校卒業後、グループ・サウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」を結成。
ドラムを担当しました。
同時期に人気だったザ・タイガース、ザ・テンプターズの長髪でワイルドなイメージとは違い、短髪のサラリーマン風、優等生的な容姿で『バラ色の雲』、『亜麻色の髪の乙女』などがヒット。
GSブームの終焉と共にグループは解散。
解散後は俳優に転向し、社会に屈折した若者から悪役まで幅広く、ドラマ、映画で演じました。
1983年に引退し、ライブハウスなどを経営する実業家に転身しました。
奈美さん19歳、林さん22歳の結婚で、奈美さんにとっては初恋の相手との結婚でした。
若い2人の結婚は周囲からは「おままごと婚」と呼ばれ、結婚2年目の1972年に離婚しました。
2人目の夫は実業家
奈美悦子さんが再婚したのは、離婚から3年後の1975年、25歳の時。
再婚相手は青年実業家で、おめでた婚でした。
しかし、結婚2か月後に再婚相手の会社が倒産。
借金を抱え、自宅には債権者が押し寄せ、家財道具も持っていかれ、奈美さんは出産のため仕事を休んでいたため、生活費にも困ったといいます。
結婚5年目の1980年に離婚しました。
3人目の夫は撮影監督
奈美悦子さんが再々婚したのは2007年9月、56歳の時でした。
夫は撮影監督の緒方博さん。
20年の交際期間を経ての結婚でした。
1950年生まれの同い年で、奈美さんの本名である並川の籍に入る婿入婚でした。
緒方さんは『ザ・ハングマン』、『あぶない刑事』、『さすらい刑事旅情編』、『はぐれ刑事純情派』など刑事ドラマを多く撮影しています。
緒方さんは九州男児の亭主関白タイプで、交際当初は家事などは何もしませんでしたが、奈美さんが2004年に掌蹠膿疱症性骨関節炎(しょうせきのうほうしょうせいこつかんせつえん)を患い仕事を休業。
この病気をきっかけに緒方さんの家事をするようになり、料理の作ってくれるようになったといいます。
2024年11月26日に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)で、夫婦円満の秘訣は「家庭内別居」と語っています。
2階は奈美さん、3階は緒方さんと長く家庭内別居をしていて、連絡は携帯電話。
3階の緒方さんの部屋には入らないようにしていましたが、携帯が繋がらず呼ばなければならない時にに部屋に入ってみると、コーヒーに凝ってて部屋が喫茶店のようになっていて、奈美さんが知らないものが増えていたといいます。
子供は息子で元俳優
奈美悦子さんの子供は2番目の夫の間の息子が1人。
1976年5月13日に誕生。名前は並川 孝太。
並川倖大の名前で、ドラマ『新・天までとどけ』(TBS)やVシネマなどに出演し、2008年に俳優は引退。
2009年2月に加圧&パーソナルトレーニングスタジオTEAM8を設立。
2009年2月にフィットネスインストラクターの由美子さんと結婚。
2024年現在は孝太さんが代表、由美子さんが副代表を務めています。
奈美悦子の経歴
本名は並川 悦子(なみかわ えつこ)。
生まれる前に両親は離婚。母親に引き取られ母親の実家で育てられました。
父親の顔を知らずに育ち、小学3年生の時に父親は事故で他界。
祖母に連れられてお葬式に行きましたが、誰のお葬式かは知らされなかったといいます。
母親の実家は裕福で家は大きくお手伝いさんもいる大所帯で、学校には送り迎えという、お嬢様として育ちました。、
書道、見本舞踊、クラシックバレエなどを習っていました。
大阪女子短期大学付属高校(現・大阪緑涼高校 )時代に芸能活動を始めました。
バレエがきっかけでデビュー
1962年、11歳の時に1500人の中から選出されて、西野バレエ団に入団。
1967年、同じバレエ団の由美かおるさん、金井克子さん、原田糸子さんをダンスグループ「レ・ガールズ」を結成、
同年2月に『発車、オーライ!』(フジテレビ)のバスガイド役で女優デビュー。
同年3月公開の『銀の長靴』で映画デビュー。
同年7月には『大阪ブルース』 で歌手デビューもしています。
1990年代からタレントをしてバラエティ番組で活躍しています。
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