「いかすバンド天国」で司会を務めるなど人気タレントとして活躍し、ミュージカル「ピーターパン」では主演を務めた相原優さん。
曙さんとの破局したことでも知られますが、結婚歴は2度。
結婚相手はどんな人?
馴れ初めや子供は? 現在の活動は? この記事では相原優さんと曙さんの破局理由や、結婚相手との馴れ初め、子供などについてリサーチしています。
青原勇と曙の破局理由
相原勇さんは1993年に相撲のハワイ巡業の特別番組で曙さんと出会い、翌年の1994年に交際に発展。
相原さんは1996年には「彼の全部が好き」と語り、1997年には「一緒になれれば、ほかのものは何もいりません」と結婚の意思を表していましたが、1997年7月にに破局しました。
「優勝しないと結婚できない」とずっと言われていて、1997年5月場所で優勝。
やっと結婚できると思った時に、相原さんは曙さんの一方的な破局で、曙さんの代理人を名乗る男性から「横綱のことは忘れてください。結婚はなかったことにしてください」と言われて一方的に破局になったと相原さんは話しました。
曙さんは特に何も話しませんでしたが、2017年3月31日に放送された『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS)で20年ぶりに再会。
相原さんが「なぜきちんと別れを告げてくれなかったのか」と問い詰めると、
『俺は別れたと伝えたつもりだよ』
『なんで俺が相撲取れない時に結婚ばかり迫って来て、なんで励ましてくれない?「とりあえず結婚は置いておいて頑張りましょう」って何で言えなかった?そこで気持ちが切れた』
と話し、「優勝すれば結婚」の話については、
『(ずっと不調が続き)1回優勝したぐらいで結婚させられると思っているのか?そんな時に1人で決められることではない』
と話しました。
別れを言った言わないの話を再び、相原さんが持ち出すと曙さんは激怒し、部屋から出ていきましたが、スタッフの説得で戻ると、「大人げなかった」と謝罪。
最後は破局騒動には一切触れないことを約束しました。
曙さんは1998年にアメリカ人の父親と日本人の母親を持つ、4歳年下のリスティーン・麗子・カリーナさんと結婚。
息子2人と娘1人に恵まれましたが、 2024年4月6日に心不全のため、54歳で亡くなりました。
相原勇の結婚歴は2度
相原勇さんは2001年、34歳の頃に結婚。
結婚相手はアイルランド人の画商。
演技と英語のを学ぶために、ニューヨークに留学した時に出会い、2001年9月の、アメリカ同時多発テロをきっかけに結婚したそうです。
結婚後はニューヨークで暮らしていましたが、10年後の2011年に離婚しました。
再婚相手はハワイ在住
再婚したのは2013年5月、46歳の時でした。
夫は1歳年上で、現地の旅行代理店に勤務する男性。
『夫との出会いはゴルフ場。私、18ホールの中には人生の縮図があると思うんです。彼はゴルフがうまくて、マナーもよく、まわりに気遣いができる人。最初のハーフで私は60だったのに、後半、彼の指導を受けると49でまわれた。「この人だ」と直感しました』
夫は14歳からハワイに住んでいる人で、小型飛行機免許取得のため訪れたハワイで、友人に誘われて行ったゴルフで出会ったそうです。
夫については「彼の誠実さ、おおらかで飾らな人柄に惹かれ、自然に結婚を決意するようになりました」と話し、交際期間は数か月でした。
結婚後はハワイで暮らしています。
相原勇の子供は?
相原勇さんに子供はいないようです。
『不妊治療専門のDoctorに”閉経”って断言された日は人生終わった、、、地の果てまで堕ちた。』
再婚後は子供を望んでいましたが、恵まれなかったことを2015年8月のブログで明かしています。
現在の活動
相原勇さんは現在の日本の芸能事務所「ボールド」に所属していますが、ハワイ在住のため現地で働いています。
『移住してからはレストランやブライダル関係など、さまざまな職種を経験したが、今年4月にガイドツアーに転職。「やっとやりがいのある仕事に就けた」。』
2019年の頃にはバスなどのツアーガイドをしていましたが、コロナ禍となった2020年にはフジテレビの『とくダネ!』の取材に応じ、観光客がいないことから「お客様が来ないので、来たらきたで2週間隔離されて、誰が来るんですかっていう…。仕事ないです」と話していました。
相原勇の経歴
1967年4月1日生まれ。広島県広島市出身。
本名は小原 靖子(おばら やすこ)。
中学生の時に榊原郁恵さん主演のミュージカル『ピーター・パン』を観て感動し芸能界入りを決意。
鈴峯女子高校(現・広島修道大学ひろしま協創高校)在学中の1984年、第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募。
中国・四国地区代表として応募総数12万人の中から決勝進出しました。
翌年の1985年4月の「第1回ミス・モモコクラブ」で準優勝(優勝は西村知美)し、スカウトされ芸能界入り。
1986年4月、本名の小原靖子名義で『ちょっとHENSHIN』を発売し歌手歌手デビュー。
所属務所の倒産を経て、1989年2月に『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)の司会に抜擢されブレイク。
1993年には芸能界に入るきっかけになったミュージカル『ピーター・パン』で主役のピーター・パンに抜擢され、1995年まで3年連続で主演を務めました。