具志堅用高と嫁の馴れ初めはナンパ?子供は息子と娘で孫は4人、子供の職業は?

具志堅用高と嫁の馴れ初めはナンパ?子供は息子と娘で孫は4人、子供の職業は? スポーツ・アスリート

元ボクシングチャンピオンで連続防衛13回の日本記録を持つ具志堅用高さん。
妻は香澄さんはどんな人?
馴れ初めはナンパのようです。
子供は息子と娘で職業は?
この記事では具志堅用高さんの嫁や子供などの家族についてリサーチしています。

具志堅用高の妻はどんな人?

具志堅さんが結婚したのは1981年、引退して間もなくの26歳時でした。
妻の名前は香澄さん。具志堅さんの所属していた協栄ジムの会長の知り合いの娘さんでした。
香澄さんは出会った時はまだ大学生で、すでにチャンピオンで何度も防衛していた具志堅さんのことは知らなかったといいます。

具志堅用高と嫁の馴れ初めはナンパ?

1979年春に香澄さんがジムを訪ねてきた時に、ジム近くの銭湯の前で出会いました。

『ナンパじゃない。きれいですねって言っただけ』

香澄さんの具志堅さんの第一印象は「優しそうな人」だったそうです。

同年の夏に香澄さんは友人とツアーの沖縄旅行に行き、具志堅さんの実家のある石垣島に行くと、チャンピオンだった具志堅さんの家はツアーの観光コースになっていました。
具志堅さんがちょうど帰省していて面識があったことから、挨拶に訪ねると「上がりなさい」とお茶をご馳走になり、これがきっかけで交際に発展。
約1年半の交際を経て結婚しました。

具志堅用高の子供は2人で職業は?

具志堅さんの子供は息子と娘の2人
長男の用輔さんは都内のカフェ勤務を経て、日本酒専門店の「酒とさか菜」に勤務。
長女の麻衣さんは元日本航空のキャビンアテンダントでした。
2人とも結婚していて、孫は4人いるといいます。

具志堅用高の経歴・ボクシングを始めたきっかけ

1955年6月26日生まれ、沖縄県石垣市出身。
父親はカツオ漁船の船長、母親ははカツオ節工場、冬にはサトウキビの収穫の仕事をしていました。
兄、姉、弟がいる4人兄弟の3番目。生活は貧しかったといいます。
子供の頃、沖縄はアメリカの統治下でした。

小柄で小学生の時から走るが速く、中学時代は野球部に所属。
興南高校 (偏差値53)でも野球bに入ろうと思いましたが背が低かったために入部を断られ、同級生に誘われてボクシング部の練習を見学。
「背が低くてもボクシングなら出来る」とボクシング部に入部を決めました。
当初は殴られて鼻血を出して楽しいとは思いませんでした、入部3ヵ月後の初めての試合で勝利したことでボクシングに夢中になり。3年生の時にはインターハイ・モスキート級で優勝を果たしました。

13回連続防衛

高校卒業後は拓殖大学・商学部への推薦入学が決まっていましたが、入学のために上京すると、港で待ち構いえていた、協栄ジムの金平正紀会長の命を受けた高橋勝郎マネージャーが待ち構えており、説得され半ば強引に勧誘されて協栄ジムに入門。
大学には通うことなく、プロボクサーに転向しました。

1974年5月、18歳の時にフライ級の4回戦でプロデビュー後、新設されたジュニアフライ級(現・ライトフライ級)に転向。
1976年10月に9戦目でチャンピオンを獲得。
以降、1980年10月まで日本最高記録の13回連続防衛に成功しました。
14度目の防衛戦で8回と12回にダウンを奪われ王座陥落。
試合後に網膜剥離寸前と診断されて26歳で引退しました、。

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