「潮来笠」などのヒット曲で知られる歌手の橋幸夫さん、。
離婚歴があり再婚しているようですが、元妻との離婚理由や現在の妻はどんな人なんでしょう。
子供はいるでしょうか?
この記事では橋幸夫さんの妻や子供などについてリサーチしています。
橋幸夫の元妻は?
橋幸夫さんの離婚歴は1回です。
最初の結婚は1971年1月、27歳の時でした。
元妻はの元日本航空勤務で、国際便の客室乗務員として世界を飛び回っていた、4歳年下の凡子(なみこ)さん。
橋さんがハワイに向かうため乗った便で凡子さんが対応したことで出会い、日本に帰国する時の便でも再会したことで意気投合。
凡子さんが橋さんのファンだったこともあり交際に発展。
歌わないレコード「橋幸夫 凡子結婚披露宴 よろこびの記録」 #歌謡選抜 pic.twitter.com/jsrAbWruCO
— キネコ (@kinekoV) May 28, 2017
約2年の交際期間を経て結婚しました。
結婚後、凡子さんは橋さんの個人事務所の役員を務め、1982年からの3年間、フジテレビのワイドショーの司会を担当するなど、タレントとしも活動していました。
橋幸夫と元妻の離婚理由
橋幸夫さんと凡子さん離婚したのは、結婚46年目の2017年末。
橋さんが74歳、凡子さんが70歳の時でした。
離婚理由については離婚の際の契約で話せないとテレビ番組で話しています。
『僕はデビューする時から全部周りの大人が仕組んだ道しか進んでいない。それが嫌で嫌で、感謝はしているけどどうして自分が思っていることをやれないのかなって苦痛が何十年あった。最後くらい自分で決めたい』
引用 https://www.jprime.jp/
ただ、離婚を切り出したのは自分だと話し、離婚を前提とした話し合いが5、6年前から始まり、2016年にからは別居生活をしていました。
離婚後、間もなく再婚していますが、それについては「不倫騒動を起こしてはいけないと思ったので。話をきちっとつけてすぐ再婚しようと思った」 と話し、けじめとして購入時は15億円ともいわれた都内一等地にある自宅兼スタジオのビルなどの財産はすべて凡子さんに慰謝料として捧げたといいます。
一部の報道では宗教が離婚理由とも
橋幸夫さんの母親は1990年に亡くなっていますが、その母親を忙しい橋さんに変わり介護していたのは凡子さんでした。
亡くなる6年前からは認知症も発症し、近所は徘徊したり、自宅のあちこちで排泄したりし、凡子さんは世話のために2時間ほどしか寝れなかったといいます。
『運命学や易学などが好きな橋も初めのうちは心酔していたそうですが、A子さんのほうはのめり込む一方だった。そんな彼女にだんだんと距離を感じるようになったのかもしれません。最近は周囲に“早くひとりになりたい”と漏らしていたそうですから」(芸能プロ関係者)』
引用 https://www.jprime.jp/
介護の疲れからからか凡子さんはある女性霊媒師に心酔していたといい、橋さんの個人事務所のなめを決めたのは霊媒師で、事務所には水晶玉、壺や、宗教画のようなものがたくさん置かれていたといいます。
橋幸夫の再婚した現在の妻は?馴れ初めは?
橋幸夫さんが再婚したのは離婚した翌年の2018年3月、離婚から3か月後でした。
妻は18歳年下のスタッフの女性で、結婚時は56歳ぐらい。
馴れ初めは講演会で、再婚の3年ほど前の「介護」をテーマにした講演会で知り合い、その後はスタッフとして公私共にサポートしていました。
2018年2月後半に開催されたファンクラブのハワイツアーには同行し、ツアー終了後もハワイに残り新婚旅行を楽しんだそうです。
橋幸夫の子供
橋幸夫さんの子供は娘と息子の2人。
1974年に長女の奈央さん、1977年に長男の龍吾さんが誕生しています。
奈央さんは弁護士をしているといわれています。
息子は橋龍吾の名前で俳優をしています。
橋幸夫のプロフィール
1943年5月3日生まれ。東京都出身。
実家は染物屋を営み、男6人と女3人の9人兄弟の末っ子。
中学時代に不良の友達と離すため、母親に歌のレッスンに通わされ、高校2年生だった1960年7月に『潮来笠』で歌手デビュー。
累計120万枚の大ヒットとなり、同年の日本レコード大賞・新人賞を受賞し、第11回NHK紅白歌合戦にも出場。
舟木一夫さん、西郷輝彦さんととも「御三家」と呼ばれ人気を集めました。
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