羽田美智子の元夫は水中カメラマンでバンドボーカルの広田俊明!馴れ初めや離婚理由は?

羽田美智子の元夫は水中カメラマンでバンドマンの広田俊明!馴れ初めや離婚理由は? 女優

茨城県出身で数々のドラマで活躍する女優の羽田美智子さん。
元夫は水中カメラマンの広部俊明さんですが馴れ初めや離婚の原因、子供は?
再婚はしてる?
この記事では羽田美智子さんの結婚の馴れ初めや離婚理由、再婚などについてリサーチしています。

元夫の広田俊明は水中カメラマンででバンドのボーカル

広田さんは1965年4月29日生まれで、羽田さんの3歳年上。
東京都出身で、日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学・文理学部応用物理学科を卒業。

1981年、高校1年生の時に同級生とバンド「HOTCAKE」を結成しボーカルを担当。
1983年に出場した「YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVAL」で決勝に進出。
1986年、「コミュニケーションカーニバル 夢工場’87」のテーマソングを歌うことになり、バンド名を「夢工場」と改名。
同年8月に『フォトジェニック・エンジェル』でメジャーデビュー。
1987年の「夢工場’87」の閉幕と共に「夢工場」のバンド名を返上し、1988年に「The Blimp Club」にバンド名を改名。
2024年現在もライブ活動をしています。

1988年頃に以前から興味を持っていたスキューバダイビングのライセンスを獲得。
インストラクタートレーナーの資格まで取得しました。
1995年に音楽活動を継続しながら沖縄に移住。ダイビングショップの経営も開始。
水中カメラマン、水中冒険家としても活動し、1998年に沖縄県恩納村で日本最大級の海底鍾乳洞「広部ガマ」を発見しました。

羽田美智子と広田俊明の馴れ初めは?

羽田さんと広田さんが結婚したのは2011年5月、羽田さんが42歳の時。
馴れ初めは羽田さんがスキューバーダイビングのライセンスを取得したことでした。

羽田さんは2001年に『甦る伝説の都 女王クレオパトラの海底宮殿』(TBS)で海底遺跡の取材をするためにダイビングのライセンスを取得。
この時にダイビングインストラクターだった広田さんと出会いました。

この時は恋愛関係にはなりませんでしたが、30代後半に再会し、共通の趣味が多かったことから2009年に交際に発展。
約2年の交際期間を経て結婚しました、
結婚後は広田さんは拠点の沖縄県恩納村で生活を続け、東京が拠点の羽田さんが仕事の合間に沖縄に通う「通い婚」をしていました

離婚理由や子供は?

羽田さんと広田さんが離婚したのは結婚6年目の2017年。
2016年5月のインタビューでは「あっと思った瞬間に電話がかかってくることがあって、なんか通じ合っているというか。夫婦のテレパシーってあると思うんですよね(笑)」とコメントしていましたが、2017年3月に離婚を発表。
離婚の理由については2018年8月にテレビ番組で、

『一緒に住んでいなかったのですが、不都合が多すぎてストレスが溜まってしまった。あとは、お互い1人の時間が長かった者同士が結婚したから、離れた方がうまくいくんじゃないかなと思い始めてしまったんです』

と明かしました。

子供はいませんでしたが、流産の経験はあったといいます。
結婚後間もなく妊娠しましたが、妊娠を発表しよういと思っていた矢先の5ヶ月目に流産。
3日の予定で入院しましたが、大量出血を起こし一時は意識不明になり、出演していたドラマ『警視庁捜査一課9係』の撮影は1ヶ月休んだそうです。

再婚は?

羽田さん2024年現在、再婚はしていません。
2019年8月のテレビ番組で「再婚の予定はありますか?」と質問されると、

『予定はないですけど、人生は長いから、そういうことがあっても素敵だなあと思っています』

と答えています。

羽田美智子の経歴

1968年9月24日生まれ、茨城県水海道市(現・常総市)出身。兄は2人いる末っ子。
高祖父は宮大工で、実家は戸時代に宮大工の先祖が建てた築100年以上の日本家屋でしたが、小学3年生の時に解体して建て替えられました。
中学時代は水泳部、水海道第二高校(偏差値50)時代はソフトボール部でポジションはセカンド。

帝京女子短期大学・秘書科に在学中、占い師に手相を見てもらったところ、「迷わず芸能界に行きなさい」と助言され、オーデション雑誌を見て日本旅行のキャンペーンガールに応募すると選出され、短在在学中の1988年に芸能界入り。
同年10月に『疑惑の家族』(TBS)でドラマデビューしました。

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