「経験」などのヒット曲を持つ歌手で、拝み屋洗脳され5億円を失ったことでも知られる辺見マリさん。
2度の結婚歴があり再婚相手は14歳年下の男性ですが馴れ初めは?
元旦那の西郷輝彦さんとの離婚理由は?
この記事では辺見マリさんの再婚相手や元旦那との離婚理由などについてリサーチしています。
辺見マリの元旦那・西郷輝彦との馴れ初め
辺見マリさんが西郷輝彦さんと結婚したのは1972年2月。
辺見さんは22歳、3歳年上の西郷さんは25歳の時でした。
西郷さんは1964年2月に『君だけを』を発売し歌手デビューすると、60万枚を超えるだ大ヒットを記録。
橋幸夫さん舟木一夫さんと共に「御三家」と呼ばれました。
辺見さんも1970年に『経験』が大ヒットし、共に人気絶頂の歌手でした。
馴れ初めは西郷さんが辺見さんに声をかけたことのようです。
初めての出会いはクリスマスの頃で、その時に西郷さんに「次のクリスマスイブに会えたらいいね」と言われたといいます。
その時すでに辺見さんも西郷さんに好意を持っていましたが、その後は何の連絡もなく、友人だった安井かずみさんに「西郷さんも来ているみたい」とコシノジュンコのパーティに誘われ行ったそうです。
しかし、パーティに西郷さんは来てなく、周りに聞くと「風邪をひいた」言われたといいます。
西郷さんに会うことを諦めきれなかった辺見さんは、西郷さんの連絡先を聞き「来てくださいよ~」と直接電話をすると「じゃあ、今から行くから」と駆けつけてくれたことがきっかけで交際が始まり結婚しました。
辺見さんは結婚と同時に芸能界を引退。
結婚の翌年の1973年には長男、1976年には長女のえみりさんが誕生しました。
辺見マリと西郷輝彦の離婚理由
辺見さんと西郷さんが離婚したのは、結婚9年目の1981年6月。
離婚の理由は当初は「性格の不一致」と発表され、後に「根っこにはお互いの両親との関係がしっくりいかなかったことがあった」と話しています。
辺見さんは家庭に入り、2人の子供に恵まれ幸せな結婚生活を送っていましたが、仕事が充実し忙しかった西郷さんは家に帰って来ること少なくなったそうです。
たまには夫婦の時間を作りたかった辺見さんは話し合いましたがうまくいかず、再び仕事を始めようとすると、家庭を守ってほしいと思っていた西郷さんと関係はさらに悪くなり、2年の別居を経て離婚に至ったそうです。
西郷さんは離婚から9年後の1990年に一般女性と再婚しています。
再婚相手は14歳年下で馴れ初めは?
辺見さんが再婚したのは2001年、51歳の時でした。
再婚相手は14歳年下の宝石デザイナーの河澄信介さん。
1988年、38歳の頃から男性マネージャーに紹介された「拝み屋」に年脳されて、借金したお金を含め13年間で5億を失いました。
そんな時、借金何とかしようと引き受けた宝石を見立てるイベントで主催者である宝石販売会社の河澄さんい出会ったそうです。
イベントでは仕事の内容が聞いていたものと違ったことから辺見さんは不機嫌になり、そんな辺見さんに河澄さんは「気にいらなければやめてもいい」というなど、初対面の印象はお互いに最悪でした。
しかし、イベントを通じお互いの人柄を知り、打ち解けて、その後も一緒に仕事をするようにになり、交際がスタート。
出会って約1年で結婚したそうです。
再婚相手との離婚理由
離婚したのは結婚4年目の2005年10月。
55歳の時でした。
離婚の理由については、
『彼がだんだん忙しくなって私をかえりみなくなった』
『結婚は理解と尊敬。私が大きな器じゃなくて理解できなかった』
と話しています。
辺見マリのプロフィール
1950年10月5日、神奈川県逗子市生まれ。京都府京都市育ち。
父親がスペイン系アメリカ人で母親が日本人のハーフ。
父親は陸軍の将校でしたが、辺見さんが生まれて2か月の時に大けがをして治療のためにアメリカに帰国。
そのまま離婚。
2歳の時に母親は再婚しました。
子供の頃に夢はバレリーナで、中学3年生の時にバレエでよく舞台に立っていた京都会館に遊びに行ったところ、渡辺ぷろ主催の「新人スターパレード」が開催されていて、その場でスカウトされ芸能界入り。
高校入学後に上京し、1969年11月、19歳の時にシングル『ダニエル・モナムール』で歌手デビュー。
1970年5月に発売した2枚目のシングル『経験』が大ヒットしました。
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