料理愛好家の平野レミさんの旦那は和田誠さん。
職業はイラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督、エッセイストなどと多彩ですが経歴は?
結婚の馴れ初めや死因は?
この記事では平野レミさんの旦那の和田誠さんの経歴や結婚の馴れ初め、死因などについてリサーチしています。
平野レミの旦那・和田誠の職業はイラストレーター、映画監督
1936年4月10日生まれ。大阪府大阪市出身。
父親はJOBK(現・NHK大阪放送局)に勤務。
東京都立千歳高校(現・東京都立芦花高校)、多摩美術大学・図案科(現・デザイン)を卒業。
絵を職業にしようと思ったのは映画『グレン・ミラー物語』を見て主演のジェームズ・ステュアートに似顔絵を描いたファンレターを送ったところ、返事で似顔絵を褒められたことがきっかけでした。
1959年に広告制作会社のデザイナーとして入社。
1960年、24歳の時に発売予定の新商品の紙巻きたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペに参加し勝ち抜いて採用。
東レ、キヤノンなど高校デザインを担当した後、1968年に退社。
フリーランランスとして活動し、「週刊文春」の表紙や多く著作の挿絵、装丁を担当。
1961年にはアニメ映画『新しい動画 3つのはなし』で監督・作画を務め。1984年には真田広之さん主演の『麻雀放浪記』で実写映画初監督を務めました。
1989年に監督を務めた『快盗ルビイ』ではブルーリボン賞・監督賞を受賞。
その後も『怖がる人々』『真夜中まで』などの監督を務めました。
平野レミと旦那の和田誠の馴れ初めは一目ぼれ
平野レミさんは歌手デビューし、TBSラジオの音楽番組で久米宏さんんぽアシスタントを担当。
ラジオを聞いた和田さんはレミさんのキャラクターに惚れ込み、麻雀仲間だった久米宏さんに「平野レミっていうのを紹介してよ。結婚したいんだけど」と頼んだそうですが久米さんは
『あの人だけはやめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ』
と拒否。
しかし、あきらめられなかった和田さんは別なTBS関係者に頼み、食事をしたそうです。
食事で出てきた魚がヒラメかカレイで、区別が付かなったレミさんに和田さんは「左ヒラメの右カレイ」教えたといいます。
『なんか素敵なこと言う人だなと思って。私知らなかった。なんて素敵な人と思って。好きになっちゃった』
このことがきっかけでレミさんも和田さんに好意を抱き、最初の食事から10日後に和田さんが「結婚しちゃおうか」と軽くプロポーズをするとレミさんは「しましょう、しましょう、しましょうよ!」と快諾し、出会って10日目に結婚しました。
結婚後は主婦業に専念していましたが、自宅に来たジャズピアニストの八木正生さん料理を出したところ料理を気に入り、自身がエッセイを書いていたグルメ雑誌の『四季の味』の担当者を紹介。
この雑誌でエッセイを書いたことで料理の仕事の依頼が来るようになったそうです。
平野レミの子供は息子
平野レミさん子供は2人の息子。
1975年に長男の唱(しょう)さん
1979年に次男の率(りつ)さんが
誕生しています。
長男の和田昌さんはロックバンド・TRICERATOPS(トライセラトップス)のボーカル・ギターで、2016年に女優の上野樹里さんと結婚しています。
次男の次男の和田率さんは電通のCMプランナーを経て「remy」を設立。
レミさん参加しオリジナルのキッチンウェアなどの企画開発をしています。
平野レミの旦那・和田勉の死因
和田誠さんの死因は肺炎です。
2019年10月17日に83歳で他界しました。
1年ほど前から体調を崩し自宅で療養を続けていましたが、急な発熱で入院。
その後、肺炎を患い、最後は家族に見守られながら、安らかに旅だったといいます。
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