モデルから俳優に転身しトレンディードラマなどで活躍した風間トオルさん。
幼少期に両親が離婚したことで、子供の頃は貧乏生活でした。
芸能界デビューのきっかけはスカウトで、俳優デビューのきっかけは浅野ゆう子さんでした。
この記事では風間トオルさんの貧乏時代や、ドデビューのきっかけなどについてリサーチしています。
風間トオルが貧乏だった理由は両親の離婚
風間トオルさんは1962年8月19日、神奈川県川崎市生まれ。
兄弟はおらず一人っ子でした。
5歳の時に両親が離婚。
母親に恋人の出来て家を出て行き、父親に引き取られましたが、1週間後には父親にも恋人が出来て、風間さんを置いて父親も蒸発。
1週間で父親と母親を失い、以降は祖父母の育てられました。
祖父は大工をしていましたが、もう引退していて収入は年金だけだったため、生活は貧乏でした。
風間トオルの貧乏エピソード
祖父母が住んでいたのは隙間風が入ってくるような風呂なしトイレ共同のアパートで、洗濯機や多摩川が風呂替わりだったといいます。
食事の量が少なく毎日空腹で、公園や多摩川の河川敷に生えている草を口にいれ、しびれるものすぐに吐き出し、食べられるのも探していました。
朝顔の紫は甘かったと話しています。
家に入ってきたカマキリの足を食べて見たところ、苦かったといいます。
冬にはは暖かい服が欲しいとは言い出せず、日向で温まった石をポケットに入れて暖をとっていました。
小学校の時からモテていて、バレンタインデーには知らない後輩や先輩から30個ぐらのチョコレートをもらったといいます。
チョコレート自体も食べたことがなく、もらったチョコレートは細かく切り、1年間毎日かけらを食べていたそうです。
ホワイトデーには松ぼっくりを拾って、オーナメントののように白いペンキを塗って渡したといいます。
貧乏エピソードを話すようになったのは、テレビ番組で「貧乏な話」のテーマの時に普通に子供の頃の生活を話すと、明石家さんまさんに「むちゃくちゃおもしろい」と笑ってくれ、ファンの人からも「つらいことがあった時、風間さんの貧乏話で救われました」と言われたので、話すようになったそうです。
祖父は認知症を発症
小学校の入学手続きを祖父母が忘れてしまったため、小学校には1年遅れで入学したた、高校卒業まで1年遅れでした。
小学2年生の時に祖父が認知症を発症。
全裸で外を徘徊することもあり、学校が帰りに友達が「変な人がいるぞ」と言うので見て見ると裸で徘徊する祖父で、「自分のおじいいちゃん」とは言えずに、一度家に帰って荷物を置いてから、祖父を探しにいったそうです。
見つけても家に帰るの嫌がったり、夜中に徘徊して睡眠時間が2~3時間のこともあったといいます。
祖父は中学を上がる直前に眠るように亡くなり、祖母は24歳の時に亡くなったそうです。
後に父親とは再会
中学に進学する前に父親の家を訪ねることはありましたが、「もうそろそろ遅いから帰れ」と言われ、同居することはありませんでした。
モデルを経て俳優になると、風間さんが出演する舞台に父親が訪ねて来て、差し入れをしてくることはありましたが、楽屋に顔を出すことはなかったといいます。
『困ると電話がかかってくるんです。生活のために資金が欲しいとか、そういう時は。「何とかしてくれるんじゃないか」と思っていると思いますよ』
舞台に出演すると顔を出し、やがては生活費を求めるようになったといいます。
風間さんは父親について、「オレを生んでくれた人だから、最後まで面倒はみたいと思っています」と話しています。
デビューのきっかけはスカウト
川崎北高校 (偏差値48)に入学すると高校2年生からは家を出て1人暮らしを始め、学費と生活費はアルバイトで稼いでいました。
高校卒業後は東京デザイン専門学校に入学。
専門学校時代の19歳の時にアルバイトをしていた飲食店で、雑誌「ファイン」の撮影がおこなわれ、厨房でドリンクの準備をしていると、その場で女性の編集者からスカウト。
ギャラ、交通費が出て、昼食も食べられると聞き、アルバイト感覚でモデルの仕事を始めました、
俳優デビューのきっかけは浅野ゆう子
モデルデビュー後は、雑誌「メンズノンノ」で阿部寛さんとともにノンノ・ボーイフレンドに選出され、人気モデルとして活躍。
雑誌で風間トオルさんを見た浅野ゆう子さんが、
『この子、絶対いい役者になる』
『動いてる風間トオルを見てみたい』
と声をかけてスカウト。
最初は断りましたが、浅野さんは粘り強く説得。
説得を始めて1年後、1989年4月、26歳の時に 浅野ゆう子さん主演の『ハートに火をつけて!』(フジテレビ)で俳優デビュー。
しかし、撮影現場では風間さんの演技の下手さに騒然となったといい、浅野さんは、
『(撮影)当日、(彼が)第一声のセリフを言ったとき気絶しそうになりました』
と話し、風間さんも「自分でもオンエア見てびっくりするぐらい」と話しています。
その後は、同年12月に放送された『東京Xマス・ラブウォーズ』(TBS)でドラマ初主演。
1993年には初主演を務めた映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で第17回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞しました。