タレント、歌手でブレイクダンスを日本に伝えた先駆者としても知られる風見しんごさん。
妻は元ミス日本の方ですがどんな人?
娘を事故で亡くしていますが、子供は何人?
この記事では風見しんごさんの妻や子供について紹介しています。
風見しんごの妻は元ミス日本
風見しんごさんの妻は元ミス日本の大下尚子さん(旧姓・荒井)。
1967年7月20日生まれで風見さんの5歳年下。
1987年にミス日本を受賞し、1990年に芸能界入り。
タレント、女優として活動し、映画では『釣りバカ日誌5』などに出演。
1994年には篠山紀信さん撮影で写真集「激写」を発売しています。
風見さんと尚子さんは1990年にテレビ番組の共演で出会い、1994年11月に結婚。
風見さんが32歳、尚子さんが27歳の時でした。
風見しんごの子供は何人
風見しんごさんの子供は2人で、長女のえみるさんが1996年、次女のみふねさんが2003年に誕生しました。
その後、長男も妊娠しましたが死産でした。
娘の事故
長女のえみるさんは2007年1月、小学5年生で10歳の時、朝学校に登校中に青信号で横断歩道を渡っていると、右折して来たにはねられました。
自宅から100mほどのところで、近所の人の知らせで、風見さんと尚子さんは現場に駆けつけると、えみるさんはトラックの下敷きになっていたといいます。
周囲の人の協力でトラックを持ち上げ、ひん死状態だったえみるさんは病院に運ばれましたが、事故から1時間25分後に息を引き取りました。
トラックを運転していた当時、23歳の男性は禁固2年(求刑3年)の実刑判決を受けています。
息子の死産
娘のえみるさんの事故があった年の2007年11月頃、妻の尚子さんは妊娠。
子供は男の子でダウン症であることもわかり、「心で生きていく子供になる」との願いを込めて「こころ」と名付け、生まれて来る日を待っていました。
2008年6月、妊娠8か月の時に、尚子さんは胎動に異変を感じ病院に行くと、心臓は止まっていたといいいます。
尚子さんは「私は母なので」と陣痛誘発剤を打ってもらい通常分娩で出産しました。
次女は海外留学
次女のみふねさんは2017年、14歳の時に母親の尚子さんと共に渡米し、アメリカのハイスクールに留学。
風見さんは都内で一人暮らしをしていましたが、2023年1月、60歳を機にレギュラー番組を降板し風見さんもアメリカに語学留学のために渡米しています。
風見しんごの経歴
1962年10月10日生まれ。広島県広島市西区出身。
本名は 大下 義博(おおした よしひろ) 。
父親は鉄工所を経営していたこともあり、子供の頃はエンジニアになりたいと思っていました。
私立でカトリック系の広島学院中学校、広島学院高校を卒業後。
成蹊大学・工学部に進学。
1981年、大学1年生の時にローラー族のチーム「東京ビクトリークラブ」のメンバーだった哀川翔さんと出会い、自ら頼んでメンバー入り。
1982年に新番組の出演者オーディションの参加者を探しに来たTBSのスタッフに声をかけられ、『欽ちゃんの週刊欽曜日』のオーディション受けると合格し、芸能界デビュー。
大学は中退しました。
日本のブレイクダンスの先駆者
『欽ちゃんの週刊欽曜日』でアイドル的人気を獲得し、1983年5月に『僕笑っちゃいます』で歌手デビュー。
第16回日本有線大賞・最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞・新人賞を受賞。
同年に映画『フラッシュダンス』で少しだけ映った子供のブレイクダンスを見て「何だこの動きは」と魅了されたといいます。
当時は日本でブレイクダンスはほとんど知られてなく、やっている人もいなかったので、「本場で学ぶしかない」と渡米。
アメリカにもブレイクダンスを教える教室はなく、路上でブレイクダンスをしていいる人に片言の英語で声をかけて学びました。
帰国後、1984年12月21日に発売したの4枚目のシングル『涙のtake a chance』でバックダンサーチームと共にブレイクダンスを踊りながら歌うパフォーマンスを披露。
テレビでブレイクダンスを日本に広めた人物をして評価されています。