松竹歌劇団出身のベテラン女優・草笛光子さん。
結婚歴は一度で、元旦那は作曲家の 芥川也寸志さん。
馴れ初めや離婚理由は?
子供はいる?
この記事では女優の草笛光子さんの元旦那との離婚理由や、子供はなどについて紹介しています。
草笛光子の元旦那は芥川也寸志
草笛光子さんは1960年、26歳の時に作曲家の芥川也寸志さんと結婚。
芥川也寸志さんは草笛さんの8歳年上です。
小説家の芥川龍之介さんの三男として 1925年7月12日に誕生。
父親は1927年に自殺しています。
1941年、東京高等師範附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)4年生の時に音楽家を志し、ピアニストので井口基成さんに師事してバイエルから猛勉強を開始。
1943年、東京音楽学校予科作曲部(現:東京芸術大学音楽学部作曲科)に合格。
1944年10月には、学徒動員で徴兵され陸軍戸山学校軍楽隊に配属され、8か月の教育期間を首席で卒業。
作曲係上等兵として終戦まで勤務しました。
終戦後は東京音楽学校に戻り、1949年に卒業。
1950年代には、オーケストラ作品を中心に作品を発表。
以降は舞台音楽、放送音楽、映画音楽など幅広く手がけ、1978年の第1回日本アカデミー賞では『八甲田山』と『八つ墓村』が最優秀音楽賞と優秀音楽賞を受賞しました。
1989年1月31日に、63歳で肺がんのために亡くなっています。
結婚の馴れ初めや離婚理由、子供は?
馴れ初めは明かされてはいませんが、結婚の3年前の1957年に公開され、草笛光子さんが出演した映画『脱獄囚』では芥川也寸志さんが音楽を担当しています。
1959年には両親公認で交際をしていて、草笛さんの主演舞台を観に来た芥川さんの母親から、
『光子ちゃん。あなたもこんなにいい舞台をやれたんだから、もう(お嫁に)来て下さってもいいんじゃない』
と言われ、この言葉にホロっときた草笛さんは、「1回は(お嫁に)行かないといけないかな」と結婚を決意。
1960年に結婚しましたが、1962年に離婚。
結婚生活は1年9か月でした。
芥川さん生涯で3度の結婚しており、草笛さんは2人目。
1948年に結婚した画家の山田紗織さんとの間には2人の娘がいて、この2人の連れ子との不仲が離婚理由と言われているようです。
結婚後も休まず、映画に出演していました。
草笛さんの子供はいませんでした。
離婚後、草笛さんは再婚していませんが、芥川あんは1970年に作曲家・エレクトーン奏者の江川真澄さんと再婚しています。
草笛光子は松竹歌劇団でデビュー
1933年10月22日生まれ。神奈川県横浜市神奈川区出身。
父親は三菱重工に勤務。
妹が2人、弟が1人いる4人兄弟。
小学生の頃はよく学校を休む虚弱体質で、克服するためにバレエを習い始めました。
小学4年生の頃に疎開先だった群馬県富岡で、舞台やミュージカルと初めて出会い、横浜第一高等女学校(中学・高校)時代には創作舞踊のサークルに所属。
1学先輩には岸恵子さんがいました。
高校在学中に知人の勧めで、松竹歌劇団(SKD)の試験を受けると、60倍の競争率を勝ち残り合格。
松竹歌劇団に入るためには高校は中退しなければならず、高校を1か月休んでレッスンを受けた後に、高校の中退を決意。
1950年に期生として入団し、淡路恵子さん、深草笙子と共に「スリーパールズ」を結成し活躍yしました。
映画、テレビ、舞台と幅広く活躍
SKD在籍中の1953年に、『純潔革命』で映画デビュー
1954年にSKDを退団し、1956年からの東宝専属を経て、テレビ黎明期から活躍。
1958年5月からは冠音楽バラエティ番組『光子の窓』(日本テレビ)が放送開始。
窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングが注目を集めて、人気を博しました。
映画、ドラマでは貴婦人からうらぶれた女性まで幅広く演じ活躍。
2021年に公開されが映画『老後の資金がありません』で主人公の義母を演じ、日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞。
2024年公開の映画『九十歳。何がめでたい』では90歳で主演を務めました。
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