清純派アイドル女優として人気を誇り、テレビ、映画で活躍した松原千恵子さん。
旦那はジャーナリストの黒木純一郎さんとうかいたですが、馴れ初めは?
子供はは息子がいて医者のようですが、何人?
この記事では女優の松原千恵子さんの旦那との馴れ初めや子供のついてリサーチしています。
旦那のジャーナリスト・黒木純一郎とは?
松原千恵子さんと4歳年上の黒木純一郎さんが結婚したのは1972年。
松原さんが27歳の時でした。
黒木さんは1941年生まれ。
早稲田大学に7年通い中退後、編集プロダクション「早稲田企画」設立。
ジャーナリストの道に進み、国内ニュース以外にも400回以上の海外取材なども行いました。
「女性自身」、「週刊現代」などの週刊誌に記者として携わった他、着物メーカーの広告宣伝などにも携わりました。
松原千恵子と旦那の馴れ初めは?
松原千恵子さんと黒木純一郎さんが出会ったの取材現場。
「週刊現代」の「この人に会いたい」という企画のインタビューでした。
『こちらがちょっと前に出ると彼女は抜き返してくる。けっこう気が強いんですよ。僕も運転には自信があったから、抜きつ抜かれつで、だんだんレースみたいになって。面白い女性だな、と思いましたよ』
取材が終わるとお互い自分の車で帰りましたが、道が同じで抜き抜かれつのレースのようになたといいます。
その後、食事をするようになり交際に発展。
しかし、人気女優と若き記者の結婚の道は険しく、松原さんの母親は大反対。
家族だけでなく、黒木さんは松原さんの俳優仲間から「自分の身のほどを知って、身を引くべき」との電話を受けたこともあったといいます。
『結婚は、お金がどうとか、地位がどうとかではなく、“誰とするか”ではないでしょうか。純一郎さんも何度も私の実家に足を運んで、家族の説得にあたってくれました』
周囲の反対を押し切り、約5年の交際期間を経て結婚。
新婚旅行は松原さんが黒木さんの取材について行く形での、車でアフリカ大陸横断でした。
結婚生活は50年に及びましたがケンカらしいケンカは一度もなかったといいます。
黒木さんは2022年2月に脳炎のため80歳で急死しています。
松原千恵子の子供は医者?
松原千恵子さんの子供は息子は1人。
結婚12年目、松原さんが39歳だった1984年5月に誕生しました。
息子は本人の希望で16歳から大学卒業までイギリスに留学。
ネットでは息子は医師をしていると言われ、Wkiにも書かれていますが、松原さんが息子が医師であると話したとの情報はありませんでした。
松原智恵子の経歴・学歴
戦時中に一家が疎開していた岐阜県で誕生。
12歳と8歳年上の姉、5歳年上の兄がいる1男3女の末っ子。
終戦後は愛知県名古屋市で育ちました。
父親は不動産業、母親はビジネスホテルを経営するなど家庭は裕福でした、
父親は17歳の時に事故で他界しています。
中学3年生の時に5000人を超える被害者を出した伊勢湾台風を経験。
近くの川も堤防が決壊し1階は水が流れ込み、間一髪で家族みんなで2階に上がり全員助かったといいます。
名古屋市立桜台高校(偏差値64)時代に芸能活動を開始。
上京し芸能活動が可能な菊華高校(現・杉真美学院高校)に転校。
高校は5年かけて卒業し、明治大学・第二文学部英文学科に進学しましたが中退しています。
デビューのきっかけはコンテスト
高校1年生の時に、映画『十六歳』の宣伝で中部地方で『ミス16歳コンテスト』が開催。
副賞の「東京見物」目当てで応募すると合格者10名に選出。
副賞の東京見物で訪れた日活撮影所でスカウトされ芸能界入りしました。
高校在学中に上京し、1961年1月、16歳の時に映画『夜の挑戦者』の端役で女優デビュー
デビュー後、すぐにヒロインに抜擢され活躍。
吉永小百さん、和泉雅子さんと共に「日活三人娘」と呼ばれて人気を博しました。
1960年代半ば以降はテレビドラマでも活躍。
2016年12月には主演を務めた映画『ゆずの葉ゆれて』が第1回ソチ国際映画祭で公開され、主演女優賞を受賞しました。