北海道出身で演歌歌手の松前ひろ子さん。
夫は作曲家の中村典正さんとはどんな人?
子供は娘で三山ひろしと結婚?
この記事では松前ひろ子さんの夫や子供はなどについてれリサーチしています。
松前ひろ子の実家は裕福で、お嬢様育ち
1950年1月28日生まれ。北海道上磯郡知内町出身。
事業を営みお手伝いさんが何人もいる裕福な家庭に生まれ、お嬢様として育ちました。
お手伝いさんが何でもしてくれ、習い事は日本舞踊、三味線、琴など、やりたいと言えば何でかなったといいます。
デビューのきっかけはいとこの北島三郎
北島三郎さんは14歳年上のいとこで、歌手としてデビューしていた北島さんが函館の劇場に来た時に、楽屋に行くと「ひろ子、ちょっと歌ってみろ」と言われて畠山みどりさんの「出世街道」を歌唱。
すると北島さんは「いけるな」と褒めてくれ、その言葉で松前さんは「歌手になれる」と思い込んだそうです。
高校卒業後、歌手になりたいとの思いから上京し、北島さんを訪ねると「過保護に育った君のような子がこの業界では生きていけないから諦めなさい」と諭されましたが、松前さんは「帰らない」と粘り、結局、住み込みで内弟子になることを許されました。
1969年9月1日、19歳の時にシングル『さいはての恋』で歌手デビュー。
紅白歌歌合戦の出場経験はありません。
シングルは2024年9月4日までで44枚発売しています。
夫の中村典正は作曲家
夫の中村典正さんは1935年12月12日生まれで、松前さんの年上。
山口県出身で、地元で開催された「コロンビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し、歌手を目指して上京。
1958年には「コロンビア歌謡コンクール」全国大会で入賞。
シンガーソングライターの原六朗さんに師事した後、歌手ではなく作曲家の道に進み、1963年、北島三郎さんの三郎太鼓」のB面に収録された「田舎へ帰れよ」で作曲家デビュー。
その後は鳥羽一郎さんの「男の港」、藤あや子さんの「むらさき雨情」などのヒット曲を生み出しました。
妻の松前さんの楽曲も多数手がけ、後に娘婿になり三山ひろしさんも育てました。
結婚の馴れ初めは北島三郎
中村さんの曲を歌い、面識があった北島さんに「お前には、中村みたいな無口な男が似合う」と勧められことがきっかけで交際をスタート。
1969年11月8日、松前さんが19歳の時に結婚しました。
中村さんは松前さん曰く「箸が転んでも自分で拾わない」ような人だといい、子供の出産の時には仕事相手のの誘われて麻雀に行き、「そろそろ生まれる。今日くらいは断ってくれないかしら」と頼んでも「男には約束がある」と断ってはくれなかったそうです。
しかし、子供が生まれると「洗濯をやらせてくれ」と自ら懇願したといいます。
子供の弁当作りも松前さんが仕事で不在の時には休まず行ったそうです。
高校を卒業するではやると決めていたようで、一番したの子供が高校を卒業して以降は、1度も台所には立たなかったそうです。
中村さんは2019年8月16日に肺炎のため、83歳で亡くなりました。
松前ひろ子の子供は3人
松前さんの子供は息子が1人と娘が2人の3人。
次女は2012年3月に演歌歌手の三山ひろしさんと結婚しています。
三山さんはデビュー前に松前さんが経営する「Liveレストラン青山」のウェイターとして働いていて、その時に出会い2009年に交際をスタート。
デビューは現場マネージャーを務めていました。
松前さんの孫にあたる、娘と息子が誕生していて、2016年時点で、娘は2歳、息子が4か月だと報じられています。
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