独特のパンチの効いた魅力的な歌声で「天使の誘惑」、「夕月」などのヒット曲を持つ黛ジュンさん。
2度の結婚離婚歴がありますが、夫はどんな人?
子供はいる?
テレビで明かした不倫とは?
この記事では歌手の黛ジュンさんの夫や子供などについてリサーチしています、
黛ジュンの最初の夫
黛ジュンさんは1970年、22歳の頃に結婚。
最初の夫はベーシストだった江藤勲さん。
1943年10月16日生まれで、黛さんの5歳年上。
17歳の時にプロのバンドのベーシストとして活動を始め、克美しげるとロック・メッセンジャーズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツなどのバンドを経て、多数のアーティストのレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加。
ライブのバックバンドとしても活動しました。
黛さんと江藤さんはレコーディング・スタジオで知り合い結婚しましたが、結婚3年目の1973年に離婚。
黛さんは結婚後、芸能稼働を引退しましたが、離婚後は復帰。
江藤さんは2015年4月25日、虚血性心不全のため71歳で亡くなりました。
黛ジュンに再婚相手
黛ジュンさんが再婚したのは1990年、41歳の時。
2番目の夫は6歳年下でドラマーの石田秀雄さん。
7年交際し、盛大な披露宴も行いましたが、4年目の1994年に離婚。
離婚の原因は収入格差で、石田さんの収入は黛さんの10分の1程度で、それを重荷に感じた夫から離婚を切り出されたそうです。
黛ジュンの子供
黛ジュンさんには2度の結婚とも子供はいませんでした。
黛ジュンさんが明かした大物政治家との不倫とは?
黛ジュンさんは2017年4月7日に放送された爆報!THEフライデー」(TBS)で大物政治家の愛人だった過去を告白。
1984年、36歳の時に大物政治家主催のパーティーでコンサートを行うと、政治家の事務所に呼ばれたそうです。
そこで、0個以上の高級指輪を差し出され好きなだけ持って行きなさい」と言われましたが、愛人契約の条件付き。
『あの輝きには…誘惑に負けました』
指輪は鑑定書付きで1000万円で、黛さんはパールとダイヤの2つの指輪を選んだそうです。
その政治家には妻以外に複数の愛人がいて、1人目は歌手、2人目が客室乗務員。
黛さんは3番目だったそうです。
ファーストクラスで行く世界1周旅行にも同伴し、ヨーロッパの最高級ホテルのスイートルームの宿泊し、パーティーではモナコ公妃とも面会したといいます。
しかし、パリでディナーの前にメイクをしていると、政治家が「本当にきれいだね」と鏡を覗いてきたそうです。
そのいやらしい目を見てゾッとした黛さんは我に返り、世界1周旅行の途中で1人で帰国。
そのまま破局したそうです。
黛ジュンの経歴
本名は渡辺 順子(わたなべ じゅんこ)。
2人の兄と弟がいる4人兄弟の3番目。
次兄は多くのヒット曲を世に出した作曲家の三木たかしさん。
歌手志望だった母親に夢を託され、4歳から歌や日本舞踊を習わされましたが、性格は内向的。
父親は事業をしていましたが、小学生の時に失敗。
その後は仕事が長続きせず生活は貧しく、自宅に借金取りが来ると兄と一緒に押し入れに籠っていました。
中学時代に本名の「渡辺順子」でデビュー。
3枚のシングルを発売しましたが、ヒット曲には恵まれませんでした。
「恋のハレルヤ」がヒット
中学卒業後も米軍キャンプなどで歌い続け。
1967年、18歳の頃に石原プロモーションに移籍し、黛ジュンに改名。
『黛ジュンの再デビューを仕掛けたのも裕次郎。盟友・なかにし礼に「ヒット曲が出るまで、頑張ってくれ」とプロデュースを依頼、そこで誕生したのが1968年の日本レコード大賞に輝いた「天使の誘惑」だった。』
引用 https://spice.eplus.jp/
1967年2月15日に『恋のハレルヤ』で再デビューするとミニスカート姿とパンチの効いた歌声で一躍注目され、同年末には第18回NHK紅白歌合戦に初出場。
1968年5月1日に発売した4枚目のシングル『天使の誘惑』が大ヒット。
「第10回日本レコード大賞」を受賞しました。