ロカビリー歌手として活躍したミッキー・カーチスさん
3度の結婚歴と2度の離婚歴がありますが、嫁はどんな人?
現在の妻との馴れ初めは?
子供は何人?
この記事ではミッキー・カーチスさんの妻や子供についてリサーチしています。
結婚歴は3度で最初の妻は?
ミッキー・カーチスさんは196年、24歳の頃に最初の結婚をしました。
妻はタレントで4歳年上の芳村真理さん。
『ザ・ヒットパレード』の司会を共に務めたことが交際にきっかけでした。
息子を授かりましたが、結婚2年目の1964年に離婚しています。
」 芳村さんは離婚の4年後の1968年に、6歳年上で日本ポラロイドやカルティエ・ジャパンなどの外資系企業の社長を歴任した実業家の大伴昭さんと再婚。
大伴さんは2018年に89歳で亡くなりました。
ミッキー・カーチスの再婚相手
離婚から7年後の1971年に再婚。
再婚相手はタレントの西野美代子さん。
2人の子供を授かりましたが、結婚31年目の2002年に離婚。
2002年から別居し、ミッキーさんが代理人を通して離婚を請求し、離婚訴訟の末に離婚しました。
3人目の妻との馴れ初めは?
ミッキー・カーチスさんが3度目の結婚をしたのは2008年1月、69歳の時でした、
妻は33歳年下のピアノ講師の女性で、結婚時は36歳。初婚でした。
馴れ初めはナンパでした。
『俺が飯食ってたのよ、カフェテラスで。そしたら犬連れた女の子がきて。犬が俺のオムレツを食べたいらしく、俺んとこきたのよ。それで「よしよし」とやっていたら、「すいません。うちの犬が」って。「いや大丈夫、俺犬が好きだから」と少し喋って、それで俺、メールアドレスを渡したの』
女性はミッキーさんを知らなかったといいます 。
交際をスタートさせ、クリスマスに趣味の彫金で指輪を送ることを提案し、「どの指がいい?」と聞くと、女性が左手の薬指を指したので、結婚を決意したといいます。
結婚後はいつか住みたいと思っていたタイのプーケットに妻と共に移住。
仕事のたびに日本戻っていました。
妻がタイ語の学校に行き、読み書きができるようになりましたが、5年半後に帰国。
2024年現在は北海道の名寄市で暮らしています。
ミッキー・カーチスの子供
ミッキー・カーチスさんの子供は、最初の妻の芳村真理さんと息子が1人と、再婚相手の西野美代子さんとの息子が2人の合計3人。
長男は元歌手の大伴修さん。
2番目の加千須ユージンさんと、3番目のトム・カーチスさんはミュージシャンをしていたようです。
ミッキー・カーチスの経歴
1938年7月23日生まれ。東京都出身。
出生名はマイケル・ブライアン・カーチス。
帰化後の本名は加千須 ブライアン(かちす ブライアン)。
両親共に日本とイギリスのハーフ。
1942年、4歳の頃に父親、母親、姉と共に中学の上海に渡りました。
上海でに父親はロシア人の踊り子と駆け落ちして失踪し、母親はイギリス国籍の男性と再婚。
義父は貿易商で、後に日本コカ・コーラ社の社長を務めました。
終戦後、1945年、7歳の時に母親、姉、義父と共に帰国。
杉並区荻窪の母方の親戚の家に身を寄せ、1946年、に世田谷区に転居。
国民学校に入学すると、名前が英語で、ハーフだったことからイジメを受けたといいます。
その後、5年生の時に私立和光学園小学校に編入。
和光中学校、和光高校を卒業後、1958年、成城大学・文芸学部文芸学科映画科に入学しましたが中退しています。
ロカビリー歌手として活躍
幼少期は暗い子供で、母親が心配してウクレレを買ってくれて弾くようになると明るくなり、その後、ギターを引き始め、中学生の時にはカントリーのコピーをやっていました。
英語で歌が歌えたことから、立教大学のバンドに入っていた高校の先輩に誘われて、バンドに加入。
六大学音楽リーグ戦で全国を回ったり、アメリカ進駐軍のキャンプも回りました。
徐々に人気を獲得し、1958年2月から開催された音楽フェス「日劇ウエスタンカーニバル」に参加。
日本劇場で開催され、1週間で45000人を動員し、は平尾昌晃さん、山下敬二郎さんと共に「ロカビリー3人男」として人気を博しまし、1960年には第11回NHK紅白歌合戦に出場。
俳優、タレントとしも活躍し、1959年には『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ)の初代司会者を務めました。
俳優としては岡本喜八の監督作品の常連でしたた。
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