神奈川県出身の音楽家でロックバンド「ゴダイゴ」のメンバーのミッキー吉野さん。
離婚歴があるようですが前妻や現在の妻との馴れ初めや子供は?
高校、大学などの学歴は?
この記事ではミッキー吉野さんの結婚歴や学歴、経歴などについて紹介しています。
ミッキー吉野の結婚歴や前妻
ミッキー吉野さんの結婚歴は3度で、前妻は2人です。
2人の前妻は一般人でどんな人は不明。
最初の妻とは1970年代に結婚し、離婚。
2人目の妻との再婚時期は不明ですが、離婚したのは2000年代との情報がありました。
現在の妻は画家
ミッキー吉野さんの現在の妻は画家の吉野祥江さん。
年齢19歳年下です。
祥江は画家を目指して、東京芸術大学・絵画科を受験しましたが5回失敗。
浪人3年目の時に父親の会社が倒産。
その後の2度の受験は自分で働いて受けましたが、合格はなりませんでした。
芸大進学は断念し就職後、取引先の韓国人に見初められて結婚。
韓国に渡り、言葉もわからず、知人もなく悩んでいる祥江さんを見かねた夫が「絵をまた描いてみたら?」と言ってくれ、近所の絵画教室に通うと大学進学を勧められ、2003年にはソウルの弘益大学(ホンデ)・絵画科に合格。
優秀な成績だったことから2005年にはパリ国立美術学校・油絵科に留学。
本格的画家としての活動を始めようとした時に、夫の中国・天津への転勤が決まり、大学で絵を続けたかった祥江さんは中国には渡らず離婚。
2007年に大学を卒業し帰国、画家として活動を始めました。
現在の妻の馴れ初めや子供
妻の祥江さんはずっとゴダイゴのファンで韓国時代もゴダイゴのファンサイトを見ていて、弘益大学在学中も夏休みには帰省してゴダイゴのライブに言ったり、サイトのメンバーとも交流を持っていました。
1984年にはファンミーティングに参加し、顔を合わせ紹介もされていましたが、ずっとファンとアーティストの関係でした。
ミッキーさんが祥江さんの名前を認知したのは自身のサイトへの書き込みで、ミッキーさんは祥江さんを見て「結構きれいな人だなあ」と思っていましたが、当時は祥江さんが弘益大学に通っている時で、お互いにパートナーもいたことから、いちファンの1人でした。
2006年にゴダイゴが再始動すると、「絵が見たい」と祥江さんにメールを送り、ミッキーさんは祥江さんの通う大学を訪れたといいます。
そこで、祥江さんの翼を描いた作品に目を留め、「この100号の絵を貸してくれるかな。コンサートで使いたいんだ」と依頼。
その後、離婚していた祥江さんはミッキーさんの「ここまで描いているなら、もっと違う世界もある。日本に帰ってきたほうがいいんじゃない」の言葉で大学卒業後の2007年に帰国。
『ミッキーがあまりにもひらめきの人なんで。そのひらめきの面白さを信じてみようと思って』
ミッキーさんも離婚していたことから交際をスタートさせ2007年10月に結婚。
ミッキーさんが55歳、祥江さんが36歳の時でした。
「息子」で検索されていますが、ミッキーさんに子供がいるという情報はありませんでした。
ミッキー吉野はハーフ?高校、大学などの学歴
1951年12月13日生まれ。神奈川県横浜市磯子区出身。
本名は吉野 光義(よしの みつよし)。
「ミッキー」の芸名からハーフ説がありますが、ハーフではありません。
横浜市立浜中学校卒業後、横浜市にある日本大学高校(偏差値65)に進学。
1971年にアメリカのバークリー音楽大学に留学しジャズ、作曲、アレンジを学び卒業しました。
ミッキー吉野の経歴
3歳からピアノを習い始め、中学時代にバンド「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」に参加。
ナイトクラブ、ダンスパーティーや」米軍基地で活動しました。
1968年、17歳の頃に「長い髪の少女」をヒットさせた人気バンド「ザ・ゴールデン・カップス」に誘われて参加し1970年まで在籍。
1970年12月に大麻取締法違反で逮捕。
1971年にバークリー音楽院に留学。1974年の卒業後に帰国しバンド「ミッキー吉野グループ」を結成。
紹介されがタケカワユキヒデさんもレコーディングに参加し、翌年の1975年にタケカワさんを加えて「ゴダイゴ」を結成。
リーダーを務め、「ゴダイゴ」と名付けたのもミッキーさんでした。
1978年から1979年にかけて「ガンダーラ」、「Monkey Magic」、「ビューティフル・ネーム」、「銀河鉄道999」がヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場。
1985年の「ゴダイゴ」活動休止後は、音楽専門学校の顧問、アーティストのプロデューサーとして活動。
1999年に「ゴダイゴ」は期間限定で再結成。
2006年に本格的に再結成しました。
映画音楽などもプロデュースしています。
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