中田喜子の夫の離婚理由や子供は?結婚歴や再婚は?

中田喜子の夫の離婚理由や子供は?結婚歴や再婚は? 女優

『渡る世間は鬼ばかり』の三女・文子役を演じたことで知られる女優の中田喜子さん。
離婚経験がありますが、夫との離婚の理由は?
子供は再婚は?
この記事では中田喜子さんの離婚理由や結婚歴、子供などについてリサーチしています。

中田喜子の元夫はどんな人?

中田喜子さんは1979年、25歳の時に結婚。
夫は12歳年上の広告制作会社社長をしていた山崎英一さん。
馴れ初めは中田さんの出演したCMの制作を山崎さんが担当したことでした。

中田喜子と夫の離婚理由や子供は?

中田さんが山崎さんと離婚したのは、結婚28年目の2007年でした。
離婚したことは公表はせず、5年後の2012年に離婚していたことが報じられました。

中田さんは週刊誌のインタビューで離婚の理由は「夫の浮気」だと話し、

『私がどうしても許せなかったんでしょうね。許してあげれば良かったのに』

と離婚について振り返りました。
慰謝料はもらわず、田園調布にあった自宅はお夫の分も中田さんが買い取ったそうです。
結婚会見では「子供はたくさん欲しい」と話していましたが、子供には恵まれませんでした。

再婚は?

中田さんの結婚歴は1度だけで、再婚はしていません。

デビューのきっかけはスカウト

1953年11月22日生まれ、東京都中央区築地出身。5人姉妹の末っ子で、長女、次女は双子で8歳年上。
実家は築地市場で、蒲鉾などの加工品の仲卸をしていた「増田屋」。自社で工場を持ち蒲鉾、さつま揚げ、はんぺんなどを作っていましたが、築地市場移転問題で廃業しています。
家庭は裕福で、自宅は当時としてはめずらしい3階建てで大きく、2人のお手伝いさんと住み込みの従業員も一緒に暮らしていました。

中学時代にスカウトされ、麹町学園女子高校(偏差値53)在学中に日活のテレビ部が作った養成所に入所。
1971年5月、17歳の時に『白い汽車』で歌手デビューし、1972年5月、時代劇『お祭り銀次捕物帳』(フジテレビ)で女優デビュー。
1974年4月には昼ドラマ『やっちゃば育ち』(TBS)でヒロインを務めました。
1979年4月からはクイズ番組『連想ゲーム』(NHK)に5代紅組キャプテンとして出演し、1988年3月まで9年間出演。
『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)では岡倉家の三女・文子を20年以上演じました。

趣味はDIY

20代前半の時にドイツで、若い夫婦に手作りキッチンを見せてもらったことで、「お金をかけずにここまで立派なものが作れるんだ」と驚いたといいます。
帰国後、自宅マンションが賃貸ではなく、購入していたことから、すぐに壁紙を自分で張替えると上手くいって周りに褒められたことからDIYにハマり、その後はダイニングチェアーやソファーの張替えや木製の家具の塗り直しなどもしました。

30代になると、自宅の壁の左官もやるようになり、2週間かけて一軒家の自宅の壁を全部塗り替え、舞台に出演した時には楽屋の壁にしみを見つけ、勝手に壁塗りしたこともあったといいます。
2012年にはDIYの本も出版しました。

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