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野際陽子と元旦那の千葉真一の馴れ初めや離婚理由は?子供は娘で女優

野際陽子と元旦那の千葉真一の馴れ初めや」離婚理由は?子供は娘で女優

元アナウンサーで女優に転身し多くのドラマで活躍した野際陽子さん。
元旦那は俳優の千葉真一さんですが、馴れ初めや離婚の理由は?
子供は娘で女優の真瀬樹里さん。
この記事では野際陽子さんと千葉真一さんの馴れ初めや離婚の原因などについてリサーチしています。

野際陽と千葉真一の馴れ初め

野際陽子さんと千葉真一さんは1973年5月に結婚。
野際さんが37歳、3歳年下の千葉さんは34歳の時でした。

馴れ初めは1968年4月から1973年4月まで放送されたテレビドラマ『キイハンター』(TBS)での共演。

架空の国際警察特別室の6人のキーハンターが、組織・陰謀・悪と戦う姿を描いたアクションドラマで最盛期には視聴リル30%を超えた人気ドラマでした。

2人ともキーハンターで、野際さんは元フランス情報局諜報部員で、殺人事件を追って来日したことがきっかけでキーハンター結成に参加した津川啓子役。

千葉さんは元毎朝新聞社会部敏腕記者で、訳あって新聞社を追い出された後にキーハンターリーダーの黒木鉄也(丹波哲郎)の助手として活動する風間洋介 役でした。

後の交際をスタートさせますが、千葉さんの野際さんの第一印象は悪かったといいます。

『初めて会ったときの印象は「最悪の女!」。こんな女とこれから仕事するのは嫌だなぁって。まさかそのあと結婚するなんて思いもしなかったよ。』

人見知りだった野際さんのぎこちないい挨拶などが、千葉さんにはお高く止まっているように感じたそうです。
しかし、会話を交わすうちに第一印象とは違いったことで野際さんにおちゃめ面があることを知り、次第に打ち解け合い交際をスタート。

約2年の交際期間を経て結婚しました。

結婚式はギリシャのエーゲ海で2人きりで挙げたといいます。

野際陽子と千葉真一の離婚理由

野際陽子さんと千葉真一さんが離婚したのは、結婚21年目の1994年。

『なぜ別れたのかというと、僕は映画の夢を叶えるために、どうしてもアメリカに行きたかった。でも彼女は日本で女優を続けたいし、向こうで暮らす自信もないと言う。あくまで僕の夢のために『別れよう』と切り出したのは彼女の方でした。財産分与も慰謝料もなし。「一時的に別れよう」そんな感じだったのです。』

野際さんは1992年に『ずっとあなたが好きだった』(TBS)でマザコンでオタクの冬彦を溺愛する母親を演じて以降、ドラマに引っ張りダコいなっていて、日本で仕事を続けたいとの思いがあり、り映画製作でアメリカを拠点にしい千葉さんと考えが違ったこと離婚の原因でした。

野際さんは気遣いのある人で、千葉さんは家で一度も怒ったことはなく、夫婦喧嘩もしたことはなかったといい、千葉さんは「あのとき、一緒にアメリカに行っていたら、ずっと夫婦のままだったかもしれない。」とも話しています。

千葉さんは離婚の2年後の1996年に、28歳年下の女性と再婚しましたが、2015年に離婚。

野際さんは再婚することはありませんでした。

娘の女優の真瀬樹里

野際陽子さんの子供は娘が1人で、1975年1月1日に樹里さんが誕生。

樹里さんは、日本大学・藝術学部演劇学科を卒業。

大学在学中の1994年に映画『シュート!』で女優デビュー。

所属事務所は野際さんと同じラヴァンスに所属していましたたが、2017年4月にレプロエンタテインメントへ移籍。

ドラマ、映画、舞台と幅広く活動しています。

野際陽子の経歴

1936年1月24日生まれ。富山県富山市出身。

父親は商社勤務で3歳の時に東京に引っ越し。

立教女学院中学校・高校、立教大学文学部英米文学科卒業後、1958年にNHKにアナウンサーとして入局。

名古屋放送局での伊勢湾台風の災害報道にも関わった後、

1960年にNHK東京放送局(現・NHK放送センター)に赴任。

朝の情報番組『おはようみなさん』の司会を務めた後、1962年にNHKを退職

広告代理店に転職し、入社3ヵ月後にTBSの15分の生放送番組『女性専科』の司会者を担当。

その後、同局のワイドショー番組『3時にあいましょう』の司会を担当し人気を博しました。

女優デビューのきっかけ

野際陽子さんが女優デビューしたのはTBSのプロデューサーに誘われことがきっかけでした。

1963年に同局のドラマ『悲の器』で女優デビューし、翌年には『風の武士』で映画デビューしました。

1968年から『キイハンター』(TBS)に出演し女優としてブレイク。

主題歌の『非情のライセンス』も歌いました。

1992年、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS)でマザコンの冬彦さんを溺愛するしたたかな母親役の怪演が話題となり再ブレイク。

ドラマを中心に活躍しました。

2014年に肺がんと診断され手術を受けましたがが翌年に再発。

再手術をして腫瘍摘出手術を行いましたが、2016年、ドラマ『やすらぎの郷』(TBS)の撮影中にまたがんが再発。

日々体調は悪化していきましたが、2017年5月7日までに撮影に参加し、重要なシーンを撮り終え、翌日の5月8日に肺炎を英発して入院。

容体は回復知ることはなく、2017年6月13日に81歳で亡くなりました。

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