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佐久間良子の息子は俳優の平岳大で娘はマネージャー!元夫との離婚理由は?

佐久間良子の息子は俳優の平岳大で娘はマネージャー!元夫との離婚理由は?

デビュー後は映画で活躍し、大河ドラマ史上初めて、単独主演した女優でもある佐久間良子さん。
元夫は俳優の平幹二郎さんですが馴れ初めや離婚理由は?
子供は息子と娘がいますが何人?
この記事では佐久間良子さんの離婚理由や子供などのついてリサーチしています。

佐久間良子はお嬢様

1939年2月24日生まれ。東京府東京市板橋区(現・東京都練馬区)出身。

父親は地元でも有数の地主の次男で戦時中は軍医。戦後は製薬会社に勤務し役員になりました。
母親は学校の理科室などに展示する、人体模型を日本で初めて作った会社の長女。
裕福な家庭同士の結婚で、佐久間さんも裕福に育ちました。

6歳で終戦を迎え、お嬢様学校として知られる私立川村中学校、川村高校を卒業しました。

女優デビューのきっかけ

川村高校在学中の1956年、学校の先輩で東映の女優だった小宮光江さんに誘われ、東京撮影所の運動会を見に行ったといいます。

これがきっかけでスカウトされましたが両親は大反対。
反対する両親に反発心が生まれ、女優を目指すことを宣言。

反対を押し切って、翌年の1957年に東映ニューフェイス第4期のオーディションを受け合格。
女優として東映に入社しました。

NHK大河ドラマ史上初めての主演女優

1958年に映画『美しき姉妹の物語・悶える早春』の端役で映画デビュー後、2作目の『台風息子』二部作で、江原真二郎さんの相手役に抜擢。

デビュー2年目の1959年には雑誌『平凡』人気投票の女優10位にランクイン。
1963年に主演映画『五番町夕霧楼』ではサンケイ新聞社・シルバースター主演女優賞を受賞しました。

1960代代半ば以降は活動の場をテレビドラマ、舞台に移し、初舞台となった1969年の『春の雪』は好評を得て4か月のロングラン公演となりました。

1981年の大河ドラマ『おんな太閤記』では、NHK大河ドラマでは女優として史上初の主演を務め、ねね役を演じました。

元夫の平幹二郎との馴れ初めや離婚理由

佐久間良子さんと平幹二郎さんは1970年4月16日に、東京・赤坂の霊南坂教会で結婚式を挙げました。

馴れ初めは968年1月から放送されたドラマ『皇女和の宮』での共演でした。
間もなく交際をスタートさせ、人目の気にならないロンドンへの逃避行を経て結婚しました。

離婚したのは結婚14年目の1984年。
同年の5月に2人揃って離婚会見を開き、離婚理由について平さんは、「原因は、彼女も仕事を大事にする人で生活のずれがあったこと。それが14年間積み重なってしまった」と説明し、佐久間さんは、「不器用な女なので、母と女優と妻の3役を全うできなかった」と話しました。

『以前から平さんは街中で堂々と男の人と手をつないで歩くなど、“男のウワサ”が絶えなかった。佐久間さんも番組プロデューサーの男性との“親密交際”が報じられていた。』

当時、平さんは男性問題が噂されていて、このこのことをリポーターに追及されると、平さんは「僕がお答えするより、彼女に…」と振ると佐久間さんはにっこり笑って「そんなことありませんよ」と答え、会場は大爆笑になったといいます。

後に2012年に佐久間さんは、日本経済新聞社・朝刊のコーナー「私の履歴書」で離婚を決断した理由について、

『婦のギクシャクした空気はどうしても子どもたちには隠し通せなくなり、ストレスが原因で、気が付くと息子はチック症というまぶたの筋肉がけいれんする神経性の病気にかかり、娘も妙に明るく騒ぐなど、様子が普通ではなくなっていた』

と明かしました。

佐久間良子の子供は何人

佐久間良子さんの息子と娘の2人。
二卵性の双子で、1974年7月27日に誕生しました。

息子の平岳大さんは俳優。
妹の朋子さんは岳大さんが個人事務所を設立後には、岳大さんのマネージャーを担当しているといいます。

岳大さんが俳優になることには佐久間さんは大反対でしたが、父親の平さんは「相談乗るよ」と賛成。
2002年の舞台『鹿鳴館』でデビューし、この舞台で両親である佐久間さん、平さんと共演。
佐久間さんは共演が決まった後も反対していたといい、本番中も岳大さんとは目を合わせなかったそうです。
岳大さんが舞台公演を無事にやり遂げたの見て佐久間さんは「もう何も言うまい」と思ったといいます。

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