五月みどりが離婚した元夫は3人!相手はどんな人?子供は息子と娘

五月みどりが離婚した元夫は3人!相手はどんな人?子供は息子と娘 女優

「おひまなら来てよね」や「一週間に十日来い」などのヒット曲で 知られる五月みどりさん。
3度の離婚歴がありますが、結婚相手は?
子供は娘と息子。娘は元アイドルで、息子はプロゴルファー。
この記事では五月みどりさんの元夫や子供についてリサーチしています。

最初の夫は芸能事務所社長

最初の結婚は1965年、26歳の時でした。
相手は14歳年上の芸能プロモーター・西川幸男さん。

西川さんは浪曲師志望でしたが、興行師に転身。
1945年に20歳で浪曲の興行会社「西川興行社」を創業。
1958年に同社は発展させ「新栄プロダクション」を設立。
北島三郎さん、大月みやこさん、細川たかしさん、西川峰子(現・仁支川峰子)さん、藤圭子さんなど多く歌手のマネジメントを行いました。

五月みどりさんもマネジメントされたをひとりで、結婚に至りました。
西川さんは再婚で息子がいました、

1男1女の子宝にも恵まれましたが、結婚6年目の1971年に離婚。

『夫婦になると、恋人同士だった時より、夫の考えを強いられてばかり。彼の不満が募ると、手が出ることもたびたびありました。我慢してきたのですが、だんだん耐えられなくなってしまったんです』
引用 https://www.news-postseven.com/

9歳しか変わらない息子の存在、価値観の違いや、DVが原因で離婚。

「子供を2人を置いていく」ことが離婚の条件でした。
五月さんは子供に会いたくて、家の近くに何度も行っては泣いていたといいます。

再婚した夫はテレビ局員

2番目の夫は1歳年下で日本テレビのディレクターだった面高昌義さん。
1976年、37歳の時に結婚しました

早稲田大学を卒業後、1963年に日本テレビに入社。
バラエティ番組のディレクターを担当した後、1980年に日本テレビを退社。
アメリカに渡り、現地でフリーにディレクター、レポーターとして活動。
帰国後は制作会社でテレビ番組を制作に携わりました。

五月さんがレギュラーを務めていた『金曜10時!うわさのチャンネル!!』のディレクターを面高さんが担当したことで、出会い交際に発展しました。

離婚したのは、結婚8年目の1984年。

離婚の原因は金銭トラブルで、面高さんが五月さんの財産を使い込み、アメリカの所有していた自宅も手放さなければいけない状態になったことが理由のだと話しています。

3度目は未入籍で事実婚

2度目の離婚の翌年に、五月さんの前座歌手で20歳年下の立花淳一さんと結婚を発表。

46歳の時でした。

20歳年下ということもありテレビや雑誌を大いに賑わしたといいます。

結婚会見時に「今度こそは添い遂げます」宣言し、結婚式も上げました。

『結婚式当日に彼の女性問題が発覚したり、その後も家に女性を連れ込んだり…。これは、どうにもならないなって(苦笑)』
引用 https://www.news-postseven.com/

未入籍のまま1年4か月後に破局しました。

4人目のパートナーはマネージャー

事実上の4番目の夫は20歳年下のマネージャーで、五月企画の代表取締役務める逸見文泰さん。

逸見さんのマージャーとしての初仕事は、3人目の夫立花さんとの離婚会見でした。
会見後、五月さんが「あぁ、私にはもう誰もいないのね」とつぶやくと逸見さんは「僕がいます、あなたを支える」と言ったといいます。

『それはマネジャーとしての発言だったんだけど、私は“きみにはぼくがついている”という意味と勘違いして(笑い)。彼は偶然にも3番目の夫と同い年だったので、心のどこかで意識していたのかもしれないですね。』
引用 https://www.news-postseven.com/

以降はずっと事実婚状態を続けています。

子供は娘と息子

五月みどりさんの子供は最初の夫である、西川幸男さんの間に誕生した娘と息子の2人。
1967年2月に長女の千愛(ちえ)さん、1968年5月に長男の 哲(てつ)さんが誕生しています。
離婚時、千愛さんは、哲さんは3歳でした。

娘の千愛さんは水沢絵里という芸名で歌手をしていたこともあるようですが、売れることなく引退し結婚しています。
2019年には千愛さんと一緒に『徹子の部屋』に出演し、80歳でひ孫が誕生したことを明かしました。

息子の哲さんは高校卒業後、1年でプロテストに合格。
賞金ランキング最高位は1992念の20位。

1995年に菊池桃子さんと結婚し、1男1女を授かりましたが、2012年1月に離婚。

プロゴルファーとして2022年に3試合、2023年には4試合と出場は少なく、現在はツアープロゴルファーとしてはセミリタイア状態にるようです。

五月みどりの経歴

1939年10月21生まれ。東京都江戸川区出身。

本名は大野フサ子。

弟が4人、妹が3人いる8人兄弟の長女。

実家は精肉店を経営していました。

父親は芸事が好きで、終戦後には廃材を集め仲間と芝居小屋を作り、夜は舞台に上がっていました。

五月みどりさんはも6歳から日本舞踊を習い、8歳の時には父親の舞台に立っていたといいます。

深川高校(偏差値58)在学中の16歳の時にニッポン放送の「ものまねのどじまん」で優勝。

これがきっかけで審査員だった作曲家に誘われてレッスンを受け始め、キャバレーで歌いました。

1958年11月、20歳の時に『お座敷ロック』で歌手デビュー。

1961年5月に発売した『おひまなら来てね』が大ヒット。

1962年の第13回紅白歌合戦に初出場。

女優、タレントとしても活動し、1976年に放送を開始したTBS系の『クイズダービー』に初代2枠レギュラーを務め、1988年4月からは『笑っていいとも!』に金曜レギュラーとして出演。

その後は湯河原に移住し、ギフトショップ「ヴィーナス」を3店舗経営していましたが、2024年に全店閉店しています。

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