往年の大スター、鶴田浩二さんを父親に持つ女優の鶴田さやかさんの家族構成は?
結婚歴や夫、子供は?
この記事では女優の鶴田さやかさんの経歴や結婚歴などについて紹介しています。
鶴田さやかの家族構成・父親は鶴田浩二
1960年9月19日生まれ、東京都出身。本名は小野 左也香(おの さやか)。
父親は俳優の鶴田浩二さん、母親は元女優の中尾照子さんで、姉が2人いる三女として誕生しました。
父親は大スターでしたが、運動会などの学校行事には来てくれて、父兄参加の競技にも出場していたといいます。
鶴田浩二さんは14歳の時に、当時の時代劇スターだった高田浩吉さんに憧れて劇団に入団。
関西大学在学中の19歳の時に学徒出陣令で徴兵され、海軍航空隊に所属。終戦時は海軍少尉でした。
1948年(昭和23年)に松竹所属。いくつかの端役での出演を経て、同年12月公開の『遊侠の群れ』で」本格的にデビュー。
1949年(昭和24年)、『フランチェスカの鐘』で初主演を務めるとその甘いマスクから人気を博し、連続してヒット映画に出演。
佐田啓二さん、高橋貞二さんと共に松竹「青春三羽烏」と呼ばれました。
1950年代も芸能雑誌『平凡』の人気投票で1位、マルベル堂のプロマイドの売上も1位を獲得。
テレビドラマにも黎明期から出演し活躍。
1985年(昭和60年)に肺癌が発覚。1987年(昭和62年)6月16日に62歳で亡くなりました。
佐良直美の推薦で女優デビュー
さやかさんは芸能界からは離れて育てられ、父親の出演する作品も見せてもらえなかったといい、子供の頃から乗馬ばかりしていて、将来は調教師になろうかとも考えたこともあったそうです。
白百合学園高等校在学中の1977年、17歳の時にに、乗馬友達だったタレントの佐良直美さんの推薦で、石井ふくこさんプロデュースドラマ『家族』(TBS)で女優デビュー。
当初、父親の鶴田浩二さんはさやかさんの芸能界入りには大反対でしたが、佐良さんが説得し了承されたといいます。
父親が亡くなると低迷
女優デビュー後は、『渡る世間は鬼ばかり』や時代劇の『遠山の金さん』、『水戸黄門 』、『必殺仕事人』、『暴れん坊将軍』、『大岡越前』などのドラマや、『激動の1750日』、『連合艦隊』、『修羅の群れ』などの映画でも活躍。
しかし、1987年、26歳の時に父親の鶴田浩二さんが亡くなると状況は一変。
『本当なら演技の勉強を重ね苦労しながら一歩一歩、下から階段を上って行かなければならないのに、私は“ここから上りなさい”と言われ高い位置からのスタートに疑問も持たず、用意された場所を受け入れた。』
大スターの娘として注目され仕事に恵まれていましたがそれらを全部「自分の実力」だと思うようになっていたと話しています。
父親の死後はとりまきだった人たちは離れていき、父親が健在の頃はチヤホヤしてくれていた仕事の関係者も離れていったといいます。
2001年頃からはVシネマに出演。ジャズシンガーとしてもデビューし、現在はライブを中心に活動しています。
鶴田さやかの結婚歴
さやかさんに結婚歴はなく、夫、子供はいせん。
『まだ独身なのは、鶴田さんの面影が強すぎるのかも知れません。今、デートで割り勘なんて聞くと、「そんなやつはおととい顔洗って出直せ」って言いたくなる。』
2015年のインタビューでは自身を「ファザコン」と話し、恋愛でも「係が1・5センチくらいまで近づいたら、あとは全部、父親を求めてしまう。」とコメントしています。
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