フォークグループ・アリスのドラマーで実業家でもある矢沢透さん。
結婚、離婚歴があり再婚のようですが、元嫁はアナウンサー?
現在のシャンソン歌手で、子供は?
この記事では矢沢透さんの結婚歴や妻、子供などについてリサーチしています。
矢沢透の経歴
1949年2月6日生まれ。神奈川県横浜市出身。
横浜市立間門小学校入学後、静岡県清水市に転居し、清水市立立岡小学校を卒業。
清水市立第二直中学校時代に兄に教わりながらドラムを始めました。
高校に進学しますが音楽活動に熱中。
1965年、高校在学中にジャズトランペット奏者・中野さん彰のバンドボーイに応募し採用されると高校は中退し上京。
1966年、17歳の時にジャズドラマーとしてデビューし、米軍キャンプなどを回ってドラムを演奏。
1968年から渡辺プロダクションに所属し、ザ・ピーナッツや布施明さんなどのバックバンドを務めました。
アリス結成のきっかけ
矢沢透さんと谷村新司さんは同い年で、共にプロのミュージシャンとして活動していましたが、矢沢さんはジャズ、谷村さんはフォークだったので面識はありませんでした。
矢沢さんのバンドと谷村さんのバンドが一緒に海外ツアーを行なうことになり、羽田空港で初めて矢沢さんと谷村さんは会いました。
アメリカ、カナダを回り変わりばんこにステージに上がり、メキシコに行った時に主催者が逃げてしまったといいます。
コンサートがなくなり、暇を持て余していた時にホテルで谷村さんと話すと意気投合。
何を話したか覚えていないけど、毎日、朝から夜までずっと話していたといいます。
帰国するために、ハワイに渡った時に谷村さんから「今度、東芝からデビューするので、堀内もいるから3人で一緒にやらないか」と誘われました。
『腰掛け程度の軽い気持ちだったんですけどね(笑)。』
堀内さんのことは知りませんでしたが了承。
1971年12月に矢沢さんが加入すことを前提に、谷村さんと堀内さんで『アリス』結成しデビュー。
矢沢さんは翌年の1972年5月から参加しました。
『アリス』は当初はヒット曲には恵まれませんでしたが、デビュー5年目の1977年10月5日に発売した11枚目のシングル『冬の稲妻』がオリコン8位にランクインすると、1978年12月5日の14枚目のシングル『チャンピオン』が初の1位を獲得しました。
離婚歴があり最初の妻はアナウンサー?
矢沢さんが結婚したのはアリスとしてデビュー後の1970年代半ばから1980年代半ばだといわれています。
元嫁はニッポン放送のアナウンサーとの情報が多くありますが、矢沢さんは明言した情報はありませんでした。
『当時僕は女性と同棲していました。ところが、その頃はトワ・エ・モアのバックで叩いていたけど、スクールメイツの女の子を好きになっちゃって。別れようかどうしようか迷っていて、やっぱり同棲していた彼女がいいと思い直し、メキシコから日本にいる彼女に謝りの電話を入れたんです。』
デビュー前、谷村さんに誘われた頃には女性と同棲していたことを明かしていますが、その女性と結婚したかも不明でした。
再婚した妻はシャンソン歌手で子供は?
矢沢さんの現在の妻はシャンソン歌手の矢沢妃衣子さんのようです。
2019年11月のお笑いコンビ・ピンクの電話の清水よし子さんのブログで、「妃衣子ちゃんはアリスの矢沢透さんの奥様なんです」と紹介されています。
その後もブログに登場していて、交流があるようです。
馴れ初めや再婚した時期は不明でした。
2度の結婚とも子供はいないようです。
実業家としても活動
矢沢さんはアリスのが活動を一時休止した1981年頃から実業家として起業の準備を始め、1984年に六本木で串焼き店「阿雅左(あがさ)」をオープン。
2024年現在も経営していて、グーグルの口コミで評価は4.6。
その後は、千代田区でギターショップ「Rim-shot」も開店しました。
ビンテージギターショップとして有名なようです。